日馬富士の現在と引退理由の真相は?モンゴルの学校運営や実業家としての活動を徹底解剖
大相撲の第70代横綱として圧倒的なスピードと気迫あふれる取り口でファンを魅了した日馬富士。2017年秋に角界を大きく揺るがした突然の引退劇から月日が流れ、現在の足取りや活動実態に関心を寄せる相撲ファンや読者は少なくありません。土俵を去った元横綱は今、どこでどのような道を歩んでいるのでしょうか。
引退後の日馬富士は、母国モンゴルを拠点に教育分野へ本格参入し、自ら創設した小中高一貫教育校の理事長を務めるなど、多方面で実業家として手腕を発揮しています。騒動の真相と引退に至る経緯、支え続ける家族との歩み、そして現在の事業規模まで、報道や公的記録に基づく確かな事実関係を整理して解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 引退の真相:2017年秋の巡業中に発生した貴ノ岩への暴行問題の責任を取り、横綱の品格を損ねたとして自ら引退を決断。
- 現在の本業:モンゴルの首都ウランバートルに開校した小中高一貫の日本式学校「新モンゴル日馬富士学園」の理事長として教育事業に専念。
- 実業家としての展開:教育機関の運営にとどまらず、農畜産関連や環境配慮型事業など多角的なビジネスを手掛け母国の発展に貢献。
【第70代横綱】日馬富士の足跡と伊勢ヶ濱部屋での躍進
日馬富士公平(本名:ダワーニャム・ビャンバドルジ)は、モンゴル・ゴビアルタイ県出身の元大相撲力士です。2001年に初土俵を踏み、安馬(あま)の四股名で関取へ昇進。師匠である元横綱・旭富士の伊勢ヶ濱親方のもとで地道な稽古を重ね、厳しい指導を受けながら頭角を現しました。
幕内最軽量級の引き締まった体躯でありながら、立ち合いの鋭い踏み込み、強烈なおっつけ、変幻自在の投げ技を武器に大関昇進を果たし、四股名を「日馬富士」へ改名。2012年秋場所後に第70代横綱へ昇進しました。通算幕内最高優勝は9回を数え、大型力士がひしめく土俵で「技能派横綱」として確固たる地位を築きました。
【騒動の全貌】貴ノ岩への暴行問題と電撃引退の真相
土俵での輝かしい実績とは裏腹に、現役生活の幕引きは突然訪れました。2017年10月下旬、秋巡業中の鳥取市内で開かれたモンゴル出身力士らの酒席において、後輩力士であった貴ノ岩に対する暴行事件が発生。翌11月場所中に報道各社が一斉に報じたことで公沙汰となりました。
警察の捜査および日本相撲協会の危機管理委員会による調査を経て、傷害の事実が確認され、日馬富士は書類送検(後に略式起訴・罰金刑)となりました。礼儀指導の行き過ぎが原因とされたものの、現役横綱による暴力行為は角界内外に極めて大きな衝撃を与えました。
同年11月29日、日馬富士は師匠の伊勢ヶ濱親方とともに福岡市内で引退会見を開き、「横綱としての責任を取り、けじめをつける」として現役引退を正式に表明。記者会見場で見せた深々とした一礼とともに、土俵生活に自ら幕を下ろす決断を下しました。
【事実関係の検証】日馬富士の軌跡と主要出来事の時系列
初土俵から横綱昇進、引退騒動、そして母国での教育者・実業家としての歩みに至るまでの経緯を、報道各社の客観的データに基づいて一覧表にまとめました。
| 時期・年 | 出来事・節目 | 詳細および公的記録の概要 |
|---|---|---|
| 2001年 | 初土俵(安馬) | モンゴルから来日し安治川部屋(現・伊勢ヶ濱部屋)に入門。 |
| 2008年 | 大関昇進・改名 | 「日馬富士」へ四股名を改名。スピード相撲で技能を開花。 |
| 2010年 | 結婚 | モンゴル出身のバトティスト夫人と結婚。公私ともに支え合う。 |
| 2012年 | 第70代横綱へ昇進 | 2場所連続全勝優勝を達成し、満場一致で横綱昇進を果たす。 |
| 2017年9月 | 9回目の幕内優勝 | 秋場所で逆転優勝。これが土俵人生最後の賜杯となる。 |
| 2017年11月 | 暴行問題の引責引退 | 鳥取市内での暴行問題の責任を取り、現役引退を表明。 |
| 2018年9月 | 断髪式・学園開校 | 両国国技館で引退相撲を実施。同月、モンゴルに新構想の学校を開校。 |
| 2020年代〜現在 | 教育・実業家活動 | 小中高一貫校の理事長を務めつつ、多角的な事業運営に従事。 |
【母国モンゴルでの現在】新構想の学校運営と教育改革への情熱
現役引退後、日馬富士が全霊を傾けているのが母国モンゴルの未来を担う人材育成です。2018年9月、首都ウランバートルに小中高一貫教育校「新モンゴル日馬富士学園」を開校しました。日本の私立学校の教育理念や規律、礼儀作法を取り入れた独自の教育方針を掲げています。
学園ではモンゴルの標準カリキュラムに加え、日本語教育や理数教育、情操教育に重点を置いています。日馬富士自らが理事長として現場の指揮を執り、校内巡回や生徒・教職員との対話を重ねる姿が現地メディアや日本のドキュメンタリー番組でも報じられました。単なる名義貸しではなく、自らの私財を投じて学校設備を整え、日本への留学支援制度を構築するなど、実効性の高い教育支援を継続しています。
【実業家としての手腕】多角的な事業展開と推定される活動規模
日馬富士の活動領域は教育分野にとどまりません。母国モンゴルの経済発展と持続可能な産業育成を目指し、実業家としての事業展開を加速させています。
具体的には、モンゴルの豊かな自然資源を生かした農畜産業の近代化プロジェクト、環境配慮型の建材・都市開発事業、さらには日本とモンゴルの企業間連携を仲介するビジネスコーディネートなど、複数の法人運営に関与していると伝えられます。現役時代に培った日本とモンゴル双方の政財界にまたがる強固な人脈が、事業の推進力となっています。
公に年収の確定数値は開示されていませんが、教育機関の規模や複数の事業権益を考慮すると、現地経済界においても確かな存在感を示す実業家として精力的に活動を続けています。
【家庭と私生活】妻・子供との絆と支え続ける家族の存在
現役時代から引退後の激動の時期に至るまで、日馬富士を精神的に支え続けてきたのが家族の存在です。2010年に結婚した夫人のバトティストさんは、留学経験があり高い知性と語学力を備えた女性として知られています。
夫妻の間には子どもが誕生しており、日馬富士は家庭を極めて大切にする父親としても知られます。引退時の騒動では家族にも厳しい視線が注がれましたが、プライベートを過度に公表せず静かに家族を守り抜く姿勢を貫きました。現在はモンゴルを生活拠点としながら、子どもたちの成長を見守りつつ、二人三脚で教育・社会貢献事業を支えています。
【日馬富士】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:日馬富士は日本相撲協会に残らなかったのですか?年寄株は取得したのですか?
A1:日馬富士は現役引退時に日本相撲協会を完全に退職しており、親方として角界に残る道は選びませんでした。現役時代に日本国籍を取得していなかったため年寄株の取得資格はなく、相撲界を離れて母国モンゴルの教育および実業の道へと進みました。
Q2:被害者となった貴ノ岩との関係やその後はどうなりましたか?
A2:騒動後、民事上の損害賠償請求訴訟などが提起されましたが、後に和解に至っています。貴ノ岩自身も2018年冬に付き人への暴力問題の責任を取る形で引退しており、双方がすでに角界を去っています。
Q3:日馬富士が設立した学校は日本から見学や入学ができるのですか?
A3:新モンゴル日馬富士学園は主にモンゴル現地の生徒を対象とした小中高一貫校ですが、日本との教育交流や文化交流プログラムを積極的に実施しています。日本の教育関係者や自治体からの視察受け入れ実績も多数報じられています。
まとめ:波乱の土俵人生から教育者・実業家への確かな転身
第70代横綱・日馬富士の歩みは、土俵の栄光と突然の引退劇という明暗を併せ持つ波乱に満ちたものでした。しかし、引退後の身の処し方において、過去の過ちから逃げることなく、母国の次世代を育てる教育事業や実業家としての社会貢献に真摯に向き合う道を選びました。
自らの名を冠した学園で子どもたちに礼儀と学びの大切さを説き続ける姿は、かつて土俵で魅せた気迫と真摯さを新たなフィールドで体現していると言えます。日馬富士が築く日本とモンゴルの架け橋としての活動は、今後も両国の関係性の中で大きな意義を持ち続けます。 (出典: 日 馬 富士(Yahoo!ニュース))